米国留学中男子高校生の日常

アメリカに一年間留学中の男子高校生の日常のあれこれをつづっていくブログ。

第二回ワシントンD.C パート3

三日目は朝ちゃんと起きてホストと一緒に朝ご飯を食べました。

叔母さんの仕事が午前中ちょこっとやって終わりだというのでホテルの部屋で待っていたらなかなか終わらず結局昼過ぎになってしまいました。正直二日目の帰りのバスでおいしそうなラーメン店を見つけたので食べに行きたかったけど断念したので残念でした。

 

なんかパート3作った意味なかったなぁ。

最後に2日目にどんなもん動いたか貼っておきたいとおもいます。

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なかなか動き回ってますね。我ながら。

以上!

 

第二回ワシントンD.C パート2

で、一人で旅行に出かけました。

 

しかしながらいきなり大問題。地下鉄が止まっている。どうしようかと思ったら、無料シャトルバスが出ていたのでとりあえず解決しました。

そこから市内のほうへ向かってい行く中で、ペンタゴンを見てなんかすげーって思いました。

バスに揺られること数十分。地下鉄が走っているところまで到着したので地下鉄に乗るために駅まで歩いていこうとすると、スタバ発見。ちょっと休憩。そしたら近くに硫黄島戦争戦死者の追悼のなんか(兵士が3~4人で国旗を掲げてる石碑的なのr。)を見に行きました。恐ろしい寒波が直撃していたのもあってか観光客はほんとに少なかったです。

で、また地下鉄の駅に歩いていきました。地下鉄は切符じゃなくて、TOICAみたいな電子マネーです。前回も言ったかな?まあ、で、チャージにめちゃくちゃ手間取って4ドルぐらい吸われました。でも何とかなって約十五分後。無事ホワイトハウスの最寄り駅に到着しました。そこからホワイトハウスまでの道のりは前回と同じなので、無事迷うことなくいけました。そこからは移動時間にいろいろ調べてあったので、そのままワシントン記念塔やらリンカーン記念堂やらジェファーソンなんたらを見に行きました。三時ごろになって昼飯を食べてないのにきづいてマクドナルドに行きました。トリプルチーズバーガーなる物のセットを食べました。美味かったです。

午後からは博物館とか美術館が無料で入れるらしいから見に行こうと思っていたけど、全部が全部ガバメントシャットダウンの影響でしまっていたので、何も見れませんでした。そこからは写真をいろんなところでとったりしてました。夕方ぐらいになると風が吹いてきて雪も降りだしてめちゃくちゃ寒かったので帰りました。

お土産を買おうとは思ったけど高かったから買わなかったです。

帰りのバスは待ち時間も渋滞もすごくてすごいゆっくりでホストはもうどこかのステーキショップで食べちゃってました。(ステーキ食べたかった。)なので夜は抜いてダイエット的なことと捕らえました。

ちなみに電車とバス以外の移動はキャピタルバイクっていうレンタサイクルを使って移動しました。三十分の時間制限があるやつと、24時間無料で使えるのがあって、三十分は確か3ドルぐらいで、24時間は8ドルちょっとだった気がします。かなり便利でした。

第二回ワシントンD.C パート1

投稿が遅れてしまってすみません

色々と立て込んでいて遅くなってしまいました。

 

で、ワシントンD.C.に行ってきました。一月中旬に行きました。

 

前回同様叔母さんの仕事の関係で行きました。しかしメンバーは変わっていて、僕と叔母さんとホストシスターの三人で行きました。

 

前回と同じホテルに泊まったのでまた床に寝るのは嫌だなぁと思っていましたが、叔母さんとホストシスターが一緒に寝てくれたので、ベッドで寝ることができました。でもホストシスターはかなり嫌々な感じなのがちょっとなんかあれでした。(思春期女子ってムズカシイとおもった瞬間)

ちなみに夜飯は近くにあった比較的有名らしいシーフードレストランで食べました。めっちゃうまかったです。僕はエビとかホタテとか白身魚をチーズソースと大量のチーズと一緒にオーブンで焼いたやつを食べたけど、めっちゃうまかったです。

 

で、二日目

この日一番最初のイベントは避難でした。どこかの部屋でボヤ騒ぎがあったようで、みんなに避難指示が出たみたいです。実際火災報知器とかの音が全然聞こえてなくて叔母さんからの連絡がホストシスターにあってそれで逃げました。ちなみにその時僕はまだまだ夢の中で、上下ジャージでダウンコートをつかんで裸足に靴はいて非常階段の螺旋階段を寝ぼけながらぐるぐるおりてきました。

そのあと朝ごはんを食べて部屋に戻って着替えているとまた叔母さんからの連絡。また火事らしくて着替えてる途中なのにまたダウンコート片手にぐーるぐる。下はジャージズボンで上は襟付きのシャツ。謎。外は雪がまだまだ残っているめちゃ寒いところなのでホテル側からブランケットを配っていました。でも配り始めて一分もしないうちに危険じゃないことが確認されたのかまたホテルにとんぼ返り。ホテル側の配慮が無残にも散っていきました。

一通りボヤ騒ぎが収まったところで、叔母さんは仕事に。ホストシスターは週末の宿題を終わらせにかかりました。僕の学校は宿題少ない、ていうかほぼないので暇でした。で、叔母さんにも「一人で観光してきてもいい」と言われたので行ってきました。 

アメリカ人のテキトーさ

アメリカ人がなのか自分があった人だけなのか、テキトーな人が多いです。

ちょっと愚痴っぽくなるかもしれないけどご了承願う。

 

まずは何よりもホストマザー。

冬休み開けてなぜか夜ご飯を作らなくなりました。衝撃。なので適当になんか作ったり備蓄してあったラ王を食べてたけどついにラ王がなくなってピンチです。

あと、前日に明日何か予定があるか?と聞いて、何もないって言われたのに翌日朝出かける寸前に出かけるよって言われるので、なんか急いで3分以内に準備する特技ができました。あとは伝えておいたことを忘れることがあります。髪の毛切りたいから、連れてってもらえるなら教えてほしいって会話を三~四回してなお全然無理だったので、叔母さんにお願いして連れてってもらいました。

 

あとは英語の先生。

外国人英語1のクラスから外国人英語2のクラスに半ば強引に上げられたときに、先生はきつかったら1のほうに戻ってきていいって言われてて、きつかったから戻りたいって言ったら無理って言われたりしました。

あとは留学団体の人。

メールを早く返せっていうくせして全然返信よこさんし、2回うちに来たけど、2回とも3~4時間遅れてきたし。

 

愚痴ってすんませんでした。

ちょっとした人種のはなし。

今自分の通っている学校はたくさんの移民の生徒が通っています。ヒスパニックの人はもちろん、インドからの子、ウズベキスタンカザフスタンにロシア、中国にヨーロッパ各国からの生徒もいます。(日本人は一人しかいない、、一人両親は日本人で生まれは札幌、育ちはアメリカ日本語0%の子がいた。)

 

とにかくいろんな人種の子がいるわけですが、生徒間で必ずと言っていいほど起こるのはグループで固まること。日本でもありがちですね。

ここでは基本的に出身国と話す言葉、人種で別れていることが多いです。その中でさらにいわゆる陽キャ陰キャ、その中間で別れます。自分が見た感じでは陰キャ的な人は基本的に少なくて、日本のそーゆー人みたいに群れるんじゃなくて、ひとりひとり個人で行動してます。

中間の人はまさに日本みたいで、ちょいちょい陽キャと仲いいは人がいたりして、めっちゃ群れてます。

いわゆる陽キャ的な人は大体あんま良くない人で、授業に出なかったり、タバコ吸ってたり、廊下を大音量で音楽流しながら走り回ってみたりしてます。あと、しょっちゅうけんかしてます。

ちなみに僕はウズベキスタンカザフスタンから来た子たちの中間グループに入れてもらってます。できればネイティブとつるみたいところやけどネイティブは大体悪いことしてる人ばっかりでアジア人嫌いなのであきらめました。

 

なんか日本だと人種に関して黒人<アジア人<白人って思っているひとが多いと思います。でも、実際こっちに来てみて感じたのはアジア人<黒人=白人的なことが多いです。特にランチタイムになると、陽キャというかヤンキーがオレンジとかプチトマトを投げて遊んだり、誰かほかの人の飲み物を盗んでみたりしてるけど、大体アジア人の人が被害を被ることが多いです。実際に僕もリンゴジュース盗られたことがあるし、中国人の友達がオレンジぶつけられたりしていました。(学校のランチや飲み物はタダだから食べ物で遊ぶ人が多い)最近あったのはインド人の友達が自販機の前でたかられて何かしらおごらされていました。(カフェテリアにお菓子の自販機があって1ドル均一で、カードも使えるからかなり便利。)

この前中国人の友達が言っていたのは、ケータイを見ていたらうっすら甘い香りがする茶色い粉をかけられたって言ってました。多分シナモンか葉巻やらタバコやらの中身だと思う。わんちゃん大麻じゃね?とか言って笑ってました。

 

実際僕が体験して一番残酷だったのは靴屋の話です。この前学校帰りにスニーカーを買おうと思って靴屋によりました。(アメリカの人靴めっちゃおしゃれ)本来なら靴を見ていると店員が"May I help you?"とか話しかけてくるのに来なくてどうしようもなく、話しかけようかと思いつつ試着したい靴のデザインを迷っていると新たに白人のおっさんが入ってきました。その瞬間、店員がいきなり”May I help you sir?”って話し掛けに行ったんですわ。その瞬間に靴を買おうなんて気は一気に失せてすぐ店を出ていきました。

あと、比較的多いのはバスで隣に座ってくる人が少ないです。俺の体格がそこそこがっちりしているからかどうなのか知らないけど、隣に座られる率が低いです。まあ、帰るのに1時間以上するので楽だからいいけど。

 

あと、気を付けたほうがいいのは黒人の人は自分たちのことを差別用語で呼び合ったりしているけど、絶対にそうやって呼ばないようにしましょう。それは普通にNGです。ちなみに差別用語で多いのは黒人はニガー白人はクラッカーアジア人はチンクなので絶対に言わないよう覚えておいてください。警察に捕まることもあります。

 

気を付けてね!おしまい!

Happy New Year (あけおめ)

明けましておめでとうございます。これからもよろしくお願いします。

 

アメリカでの年越しは日本みたいにみんなで集まって祝っている感じじゃなくって案外さっぱりしていました。

 

晦日当日ホストマザーが一日仕事だったので僕はただ家にいました。ホストシスターもずっと家にいました。全然ホストシスターと仲いい訳じゃないので話を全然しなかったので、リビングのソファでペットシッターで預かっているミニチュアダックスと一緒にガキ使をYouTubeで見てました。

 

で、深夜。ホストマザーが花火を見に行くって言っていたのでついていきました。天候はあいにくの大雨。だけどみんな傘もささずに見てました。俺はカメラを傘で隠しながら川沿いのベンチ風のところにホストマザーと座って結びしょびしょにしながら見てました。花火の前に10、9,8,7,6...って感じでカウントダウンしてたのに三秒前で花火が上がったので、なんかアバウトやしアメリカらしいなぁと思いました。

 

ほかには日本の家族とちょっとラインでビデオ通話しました。お年玉が欲しいし、おせち食べたいし、焼き肉食べたいし、って感じでした。

 

1日はなんかパレード?的なのがあるらしくて、花火の帰りにも見に行くって聞いてたけど、強風ですごい寒かったので見に行かないって言われたのでずっと寝てました。

 

以上。(AirPodsほしい)

12月のいろいろ

12月になりました。

寒さは11月とあんま変わってないけど雪は降りませんでした。

 

なんかあんま変わったことはないけど12月はほんとにクリスマスシーズンでした。

12月は始まってすぐクリスマスの準備が始まりました。アメリカ全体でクリスマスがプッシュされてる感じでした。どこのスーパーに行っても何かクリスマス関連のものを売ってるし、デコレーションもすんごいです。

ほかにも家のデコレーションもすごいです。キラキラのライトで庭木や家がデコレーションされていて、庭もいろんなものでデコってあったり、イベントであるような空気で膨らませてある人形とか木のボードの雪だるまとかキャンディーケーンのやつがありました。

 

クリスマスツリーの種類がすごいたくさんあります。でっかいのからちっちゃいのまで、偽物の木からホンモノの木まで。木が生えているところに行って、自分たちで見つけて買うのもざらにあるみたいです。

そんでもってそのツリーの飾りつけもほぼみんなガチ勢です。うちは本物の木をウォルマートで買ってきて、ガラスの玉みたいなやつとかリボンとか電気とかできれいに飾り付けました。壁にもクリスマスレースを付けたりドアに鈴をかけたりしました。(ウォルマートはいわゆるスーパー兼ホームセンターで、何でも売ってます。スーパーなのでもちろん生鮮食品やお惣菜も売ってるけど、服や靴。さらには家電やおもちゃ、自伝者も売ってるなんでもありなところです。)

 

ほかにも十二月半ばの夜はフィラデルフィア市庁舎周り一帯がクリスマスビレッジという出店とかが並んでたり、スケートリンクがあったり、でっかいクリスマスツリーがあったりする場所になります。その中でも一番すごかったのは市庁舎へのプロジェクションマッピングです。もともとの市庁舎自体がすごい昔からある建物できれいなのにそれが倍増していました。

 

気になるのはプレゼント。クリスマスツリーの下にいっぱいプレゼントボックスが準備してあって、一人に対して複数個あるのが普通でした。あと、家族がそれぞれプレゼントを贈りあうのが普通で、ホストシスターはお菓子の詰め合わせをおしゃれにしたようなのを配ってました。僕は日本から親に送ってもらったものをあげたけど、なんかシケてました。

本来プレゼントは25日の朝に開けるものらしいけど、ホストシスターが我慢できなくて、23日の夜にホストシスターは開けきってしまってマザーにおこられていました。ちなみにもらっていたのはGUCCHIの香水とVANSのスニーカーとピンクいもこもこのネックウォーマーでした。15歳にGUCCHIか~笑

で、24日の朝になってホストマザーがあなたも開けていいよって僕に行ったので開けました。ちなみにほしいものがあるか聞かれたときはかっこいいメンズのコートかサッカーのスパイクと答えました。で、結果は革の手袋と赤いチェック柄のマフラーとこんなこと言いたくないけど、正直何の柄かわからない正直ダサい黒い薄いダウンジャケットでした。その日、ホストいとこの4歳の女の子もいて、その子はおもちゃのキッチンセットをもらっていました。それを僕とマザーで組み立てました。

その夜。なにやら13ストリート(サーティーンストリート)の住人はクリスマスの飾りつけがすごくて、一種の観光名所だからと連れて行ってくれました。ほんとに13stの家々は飾りつけがすごくて、街路樹から電線まできれいに電飾が施されていました。

 

で、25日。クリスマスツリーの下にはまたちっちゃいプレゼントボックスが一つと、破かれた大きい包装紙とワイングラスが箱に入っておいてありました。ホストマザー曰くそれは私のBFFからのもの、覚えてるでしょ?と言われました。僕はWAWA(コンビニ)のギフトカード10ドル分でした。ちなみにホストシスターは結構いいブランドの靴をもらったみたいです。

それからブランチを食べてから叔母さんの家へ行きました。叔母さんの家のツリーの下にも大量のプレゼントが。ちょっと期待しつつ大型犬一匹と中型犬一匹と戯れていると、ついにその時が。ホスト叔母さんがニコニコして箱を渡してくれました。ワクワクして開けると、自分が欲しかった日本非発売のスパイクが。結構マジで喜びました。ホストシスターはVANSのスニーカーをもらってました。(また)

さらにそこからおじいちゃんの家へ行きました。相変わらず広い。またビュッフェ形式でサンクスギビングと似たような料理を食べました。でもターキーがなくて、マカロニチーズがありました。食べ終わってからおじいちゃんが一人一人名前を読んで50ドル分ぐらいのギフトカードを渡していました。この時名前を呼ばれなくてさみしい気持ちになりました。でもほかの人から気持ち程度にてずくりクッキーをもらえたのでまあよかったです。でもその家から帰るときにホストマザーとシスターが両手いっぱいにプレゼントを持っているのに対して、自分はクッキーの入った袋一つで少し寂しかったです。

 

帰ってからマザーがほっとチョコレートを作ってくれたので、それを飲んで寝ました。

 

おしまい。